日常

ウサギが、草を食むのを見ていた。

草を食むたび、口から広がるベージュの毛が、はむはむと複雑にうごめいて
その自然に、とても安堵した。

提示されていない、用意されていないものが見たかったんだなと思った。

その単純明快さのなかに、きちんとこぼさずふくまれてやまない複雑で不可解なものにただ驚きたかった。

そのものが生きて広がって仕方ない波紋に、安堵した。


秋の陽が暖かく、今日は公園だと繰り出した。

ひだまりと日陰を行ったり来たり歩いて
まださまよっている蚊を避けながら、落ち着ける場所を探した。

その最中、不意に、木の根元の土を踏むと
こちらが想像していないほどのやわらかさで私の体重を吸い取った。

私はそのことにびっくりして、本当にびっくりして
お腹の底からくずれそうな気持ちになった。

「ゆるされている」という感覚はどういうものなのだろうとこのところずっと考えていたけれど

もしかすると、こんな、自分の想定していないほどの抵抗のなさで、自分の体重を吸い取ってくれるような

しかもそれが当たり前の顔をしていて、何も動じずまた平面に戻っていくのを確かめられるような

そういうことなのかもしれないなと思った。


9月も終わり。

旅への手前に、時間か空間のポケットみたいなところにはいりこんでほかほかやっている。

これは、ただ放っておいたら、赤くなっていたピーマン。

黙って天井を眺めていると、静けさの中に聞こえてくることがあったりするように
ただ待つ、ただ聞く、ただ見ることを忘れている、ということに気がつく時間が必要だと思う。