練習

毎度同じアングルからの、同じようなご飯の写真で、代わり映えがないでしょう。

その変わり映えのないことを、しずかに繰って、食って?いこうとおもうわよ。


この頃は、食材を切る練習をしてる。

とくに刻む練習。

そうしたら、それだけで他人の味がする。

味とはなんなのかと、とてもよく考える。

それに、包丁はもちろん、よく研いであった方が切れるにちがいないけど
誰が使うかで全く違う包丁のようになる。

昨日の私より、今日の私のほうが、包丁の持ち味を生かせている気がする。

これは楽器にもよく思うこと。

もっと楽器をちゃんと鳴らしてあげられるようになりたい。



色々なことの練習を同時に始めて、
こんなの同時にやることじゃない、容量の小さなわたしにはむずかしすぎると思っていたのだけれど

そして実際にそれはそうなのだけれど

出来ないけど、とりあえず今出来ることを一生懸命繰り返してやる

みたいなことを、子どものように思い出して、これこれ、これが必要だわと思った。

どうも私の人生には、嘘でも出来るふりをしなければと思う機会が多かった。

それは私の性分もあるだろうし、役者の仕事をやっていることも影響しているかもしれない。

そんなんでいいわけがないんだけど、まずはそこに立っていられないと始まらないことが多かった。 

出来ないって言うな、って言われることもあったなあ。


でも、いろんなことの練習を始めて
子どものころ、目的や期限のない習い事をしていた時みたいに、

今は出来ないけど、出来ないことに嘘をつかずに、出来ないなりに一生懸命繰り返しやるってことを思い出した。

そしたらちょっと、楽しい。

嘘をつくことはそれなりにストレスがかかるんだと思う。

出来ないことに正直でいた方が、練習ってしやすいんだなぁと思った。

出来るようになることを目指すより、出来ないことにひらけていく、みたいな感じで。 

出来ないって言うな、より
出来ないから教えてくださいって言う、でいいじゃん。

出来ないんだから。出来ないから始まるんだから。



大人になるほど、そういう、目的や期限のない習い事って、あったらいいかもって思う。

出来ないことにひらけていくことも
その道を究めている人の言葉や姿勢を訊くことも

緊張感とリラックスが同時にある。

自分が積み重ねてきたことは何かも、少し、見える。