100年後

100年前の人やことを考えたあとに

近所の、70歳くらいのたばこ屋さんと、
「暑いですねえ〜」と挨拶をしたら

同じ時代の、同じ今日の、同じ天気について「暑いですねえ〜」なんて言葉を交わせるだけで、とんでもなく重なりがあることだなと思ってしまった。

「分かり合えなさ」みたいなことに閉口してしまうときは、私の場合はおおむね「分かりたさ」が強く芽生えてしまってる時で

その「分かりたさ」みたいなことって、
「暑いですねえ」の共感で済まないような
「2018年10月16日12:45、右45度前を見据えていたあなたの視界、分からせて」みたいな狭さで

そら、その狭さで重なり合えたら泣いちゃうくらい嬉しいかもしれないけど

同時に、同じ今日の天気について「暑いですねえ」と言えることは、そんなにつまらない、当たり障りないようなことでもなく

けっこう大変な重なりなんじゃないかと思えたのだった。



7/10は選挙だわ。

同じ時代に生きてる色んな人たちと、選挙だわ。

あれこれ考えては、そうかも違うかもとなっている。

でも、世の中全体を見渡して意見を票にしなきゃっておもってたけど

選挙は国民の意見をまとめてくれるものだし、自分一人で国民の意見を計算した答えを出そうとしなくていいんだなっておもった。 

選挙権のまだないこどものことは、考える必要があるけど。

あたり前田のクラッカー。

とりあえずは、自分の立っている場所から見える景色を率直に伝えればいいし、それだけしかできないなぁ。

100年後も、「暑いですねえ」と言葉を交わせる場所であってほしい。

「暑いですねえ」と言える、暑さで、あってほしいし。

そうしなきゃだし。



お風呂屋さんの食事どころでたべた蕎麦を、完全再現。焼き茄子。