鍋の中では

 

同じことを繰り返して、違うことをみつけるのが好きだから演劇なのかも、と土井善晴さんの記事を読んで、ふと。


そういえば学生の頃は、理科の対照実験が無性に好きだったな。

演劇は、毎回同じ戯曲のうえで繰り返した稽古のもと、同じことをしようとしても、いろんな人の呼吸が集まってるからまるきり同じにはできないし

でもそれを同じにしようとするために、違うことをつねに察知するみたいなことが必要なのかもしれない。

同じにするってのは、たいらにならすってことでもなくて

結果、総合的に同じことを実現するためにバランスをとり続けるみたいなことなのかしら。

わかんないけど。

わかんないからつづけてるのかしら。


料理もそう。

公演が終わって、すぐに肉じゃがが食べたくて、いつもの土井さんのレシピで作った。

お芋がちがう品種だったのか、いつもと全然ちがった。あとはたぶん、わたしの調子。

翌日はまたちがって、ちがうけど、ちがうなりに馴染んでいてとても美味しい。

料理の場合は、わたしと食材だけの問題で、お客さんがいるわけでもないから

同じことやっても違うなぁ、を、そのまんま楽しむ。

生きてるものと向き合うのは、そういうところに安心とスリルがある。




さて、秋に参加する舞台が決まりました。

パルコ・プロデュース2022
舞台『桜文』
脚本:秋之桜子
演出:寺十吾
2022年9月5日(月)~25日(日)
東京 PARCO劇場

2022101()2()

大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール

2022105()

愛知・名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)

2022108()

長野・サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター


公式ホームページ

https://stage.parco.jp/program/sakurafumi/



「文才に恵まれた花魁と美しい言葉や文章に恋焦がれた明治の若き文士との激しくも禍々しい恋の物語」––公式ホームページ内、寺十吾さんのコメントより引用

言葉に惹かれ合う、というところに、私もとても惹かれています。

「言葉」は寛容であり狭量である(対のことを言っていればもっともらしく聞こえそうだと思っているわたしにやさしく騙されたり、すかさず見抜いたりするところも含めてそうだ)なぁと感じるこの頃だわけなのですが

それが思いを馳せる相手へのものであればなおさら、そのことにうっとり惑わされたりするどく射止められたりすることを想像して

その恋が、どんな「言葉」によって紡がれるのか、どきどき、とても楽しみになっています。


演出は、これまで鵺的でご一緒してきた寺十吾さんです。

そんな寺十さんと、私にとっては初めての皆さま、初めてのPARCO劇場、初めての地に出会います。

これもまた、馴染んできたことがあるからこそ踏み出せる一歩で、

とても自分らしいと思えると言いますか、安心の上にある跳躍を目指せることをありがたく思っています。

素敵な舞台をお届けできるよう頑張ります。

是非、お越しください。