燃やし尽くす


 鵺的『バロック【再演】』
おかげさまで19日に全公演終演いたしました。

たくさんのご来場、応援を頂き本当にありがとうございました。

SNSでのご感想も、大切に拝読しておりました。

書かれずとも、感じてくださったこと、考えてくださったことがたくさんおありになると思います。

観ることのエネルギーを使ってくださり、心から感謝しております。


再演でしたので、もうかれこれ、少なくとも27回くらいはこの戯曲の中の言葉を口にしたり耳にしたのだと思います。

稽古や何かを含めればもっとです。

でも、発するほどに、受けるほどに、言葉の中身が変容する心地がして、そのことが面白くも恐ろしく、日々崖の淵に立つようでした。

きっと私が認識する以上に、ご覧頂いた方それぞれの中で、言葉の聞こえ方が違っていたでしょうし、思い返すことでこれから変容することもあるのだろうと思います。

時代の中で、その人自身の文脈の中で、天気や体調の些細な機微で。

こんなにやったのに、まだ、いえ、ますます正体がつかめません。

ただ、いつもその時なりの事実をつかまえようとしていたつもりです。


何かを書くと、何かを書かないことになりますね。
(時すでに遅し)

とくに、私一人で何かを書こうなんてとても無理です。

だから、公演の中で、そこにいた全員でその場に立ち上げたものの姿を最後にしておきます。

願わくは、観てくださったかたが、明日もそれなりに生きようと思えたらいいなと、それだけを心から思っています。

それだけがとても傲慢ですね。

でも、思っています。

傲慢にも、誰かの明日を願ったりもして、私も明日を生きてみたいと思っています。

あれやこれやと、間違えまくり、あちゃーと思いまくりながら、なんとかやってみます。

生きてるとねえ、また会える可能性があるんですよ。

これが、生きてるのの、すごいとこですよね。

生きたことしかないからわからないけど。


公演をともにした人達の一部

まだまだたくさんいたけれど、舞台の見えないところにこんなにいました。


大切な大切な妹・美貴子役 笹野鈴々音さん



なぜか楽屋の鏡に貼る名前を逆にしちゃったのだけど、そのまま過ごしてみていました。

りりさんが立っていてくれたから立ててました。


存在によって存在は成り立つのだと、端端で、つくづく、思いました。



公演の少し前に梅雨入りして、終わったら初夏の気候です。

いい夏にしたいです。

海にいきたいし、外の匂いを肺いっぱい吸いたい。毎日。夏じゅう。

いい夏、お迎えください。