鵺的『バロック【再演】』初日の幕が、昨日9日に開きました。

ご来場いただいた方へ、ありがとうございました。

『バロック』が「怪奇もの」だからなおさらかもしれませんが、観てくれている人たちが、今そこに起こっていることを真剣に観て、信じて共有してくださって、はじめて世界が成立するんだよなと改めて実感した初日でした。

感謝しています。


幕が開いてすこしほっとしたので、朝からゆっくり窓を開けてコーヒーを飲みながら宅配便を待っているところ。

先日から我が家に登場したソファーにかけるためのカバーが届く。

くつろぎの場所がぽわっと生まれただけで、日々のリズムがなだらかになるものだな。

カバーをかけるの、楽しみ楽しみ。

ようやく気持ちが落ち着いたので、公演にまつわる、ごくごく個人的な思考のあれこれを書いてみる。

いつも個人的でしかないだろ、とは思うのだけど、いつも以上に、ふーんと思って聞いてほしい、そんな感じ。


『バロック』は、2016年『悪魔を汚せ』、2017年『奇想の前提』に続く、鵺的の三部作の最終章で
2020年の『バロック』初演で完結する予定だったけれど、コロナのはじまりであまり多くのかたにご覧いただけなかったために、2022年に再演するに至った。

その三部作が完結するまでの2016年からの鵺的の歴史というのは
先日、鵺的の主宰・高木登さんが記事に書かれていたけれど、私が鵺的に参加させてもらってからの時間でもあった。

それで、ここからがごくごく個人的な話なのだけど

2016年、24歳というのは私が仕事を始めてから12年間所属していた事務所をやめてフリーになった翌年で、「芝居をしていきたいな」と思い始めたタイミングだった。

そんなやる気にあふれた時かと思いきや、ひとたび家に帰ると、部屋を真っ暗にしてうずくまって過ごすのが常で、家族と自分がどう関係していくかとか、そもそも自分自身との折り合いのつかなさにいつも辟易していた。

割と絶望めいたものを味わった後で、さてさてどうやって元気を取り戻していこうかなと思っていた、多分そんな時だった。

鵺的をご覧になったことがある方には、なるほどと思われるかもしれないけれど
そのタイミングで、鵺的で演劇をやる環境に恵まれたことは、本当に私の救いだった。

(少し前に、朝劇下北沢に参加するようになったことと、両側面から大きく支えてもらっていた実感が強い)

鵺的の「家族の話」を描き続けるところ、絶望の先にしかない希望を見出すところ、
鵺的の名の通り、得体が知れず、白黒つかず、「正しさ」ではないただしさを照らそうとするところ

また、それを描こうと思う高木さんがいることや、
医者のように内面を探りながら演出する寺十吾さんに出会えたことは、
その時の自分にとって、大変に大きな希望になった。

こういうことを考えていてもいいんだとか
こういうことに時間をかけていいんだとか
そんな自分のためにしかならなかったような、陰鬱としか思われなかったようなことが
ポジティブに、何かの役に立つかもしれないと思えたことがとても嬉しかった。

日常で果たせない思いや、コミュニケーションを、演劇の中でならできることも。


2019年に『悪魔を汚せ』の再演をしたころから、自分はそれまでのような「渦中」にはいないことを実感するようになった。

それは、演劇を通して、個人的な鬱屈のようなものを昇華できてきた結果でもあって、
初演の時のような、「まさに自分の痛みである」という感覚からは離れて、「経験したことのある痛み」に変わっていた。

それで悩むことは、痛みを再生しなければならないことと自分自身の精神衛生の保ち方と、エネルギーの出処の採掘だった。

だけど不思議なもので、鵺的の作品には、そこに立てばそうならざるを得ない力もあり、エネルギーは自然と湧いてきもした。

その上で、自分自身との重なりを探したり内側を燃やすのでなく、
もっと客観的に物語を俯瞰して、自分以外の、物語の外にある世界、社会へのつながりをもっと考えていく必要があると思うようになった。

それは同時に、自分が作品の中で、個人的な思いを晴らすのでなく、
「役割として」役を全うすることを真剣に考えることでもあった。

自分自身の心身を健康に、現実世界で周囲の人とコミュニケーションを果たして暮らし、
その上で思考し、試行錯誤して演劇ができるようになりたいと思うようになった。

2021年の鵺的『夜会行』を経て、その感覚は更にはっきりとした。

それは今もずっと続いている。


きっと、私は演劇に救うだけ救ってもらったから
もう次のことをしなさいよってことなんだと思う。

『バロック』は、そういう「役割」の妙でしかなし得ないことを
とてもよく実感する演劇でもある。

誰かのためにというのとも違って、たぶん、生態系の一部として機能するみたいなこと。

「思いを晴らす」でも、「名前を残す」でも、「爪痕を残す」でもなく、
ただ居ることが機能になるみたいなことを、じっくり時間をかけてやっていけたらいいなと思ってる。

遅くなってしまった。
だけど、楽しみでもあるはず。


これで一旦、何かが終わって、何かが始まるんだと思う。

ちゃんと終われるように、果たしたいなと思う。


ここまで書いて、やっぱり一向に個人的すぎて、結局自分のことじゃないかと思っちゃった。

振り返って「あの時は若かったからな」と思ったそばから、同じことを今日もやっちゃう、そういう毎日。

こういう変わらなさとも、一生いやだなあと思いながら折り合いをつけてやっていくんだろな。

やんなっちゃうけど、ぼちぼちがんばろう。がんばれ。

やれやれやってこう。


生活のように、演劇をして、
ささやかに何かを共有できたらとても嬉しいです。

『バロック』、粛々と頑張ります。


全然関係ない、引っ越しして間もない頃の自宅キッチンにて