波線

写真:DAISUKE HASHIHARA


『大豆田とわ子と三人の元夫』と『カルテット』を見終わった。

どどっと?いまさら?ようやく?

ずっと、面白いに違いない、好きに違いないと思ってはいたのだけど
本当、大縄跳ぶのと同じくらい「いいよ」って言われてるものを見るのが下手で
すごく時間がかかってしまった。

ああ…ものすごく良かったな…。

どっちの作品も、人物の「絶対こいつなんかありそう」がしょっぱなから色濃くあって
でもその「なんかありそう」が想像以上に早く解き明かされるところと
開けてみると「極悪非道」とかじゃない、
ものすごく人間的というか…「そんなの生きてたらあるよね」みたいなことだったりすることが多くて

そこがいいなあ、と思った。

「そんなの生きてたらあるよね」だから、些細なことだとか、瑣末なことだっていうのでもなくて


それが、人生を一歩も動けなくするくらい(もしくはそれだけを原動力にしてしまうくらい)大きな針というか棘というか芯みたいになってしまっていて

そういう、他者の状態を、その大きさをちゃんと受け止めた上で
でも、今目の前にいるあなたと私の間に流れているものを信じるっていう関係がたくさん描かれていて

ああ、すごいなあと思った。

(説明すると野暮だし、説明が下手で嫌になるわ)

そういう関係を、築いていけたらいいなと思うし
今まで築いてきたよなあ、とも思った。

たくさんゆるしてもらってきたからな。

こういうとき「ゆるす」って言葉がどうにも浮かんじゃうんだけど
「許す」って書くとどうもしっくりこなくて
「緩す」だとなんか、ああ、それかもって思う。

とってもよくわからないんだけど
自立して生きていくためには、自分の輪郭をしっかり持って他者との境界線をしっかり引くことが必要だとこの数年思ってきたんだけど

やっぱりどうもそれだと計算が合わないみたいなことがたくさんあって
こう、輪郭がぼやけてもいいやと思える時というか
あなたのことが私のことになってもいいやと思える時
皮膚が柔らかくなる時
一番自分を信じられているような、そういう気もする。

それで、そういうときって
輪郭とか境界がこう、頑なじゃなくって、緩んでて
波線みたいに揺らいでて
ちゃぷちゃぷしてて

本当はそういうのが、いいなあと思う。

とかいって、一向にちゃぷんちゃぷんでわかりません。


あと、エンディングで歌うの、いいよね。

私も歌いたいわ。