まともじゃないのは君も一緒

映画『まともじゃないのは君も一緒』を観た。

「普通」を探す旅のような。

とてもよかった。

変な夢を見た時の、話の筋がどこへ向かうのかわからないあの感じに似ていて

でもその不安定さや不確かさが、逃したくないたくさんのことを捨てずにふくんだままでいさせてくれてよかった。

特に好きだったのは、
自分とはちがうコミュニティや社会にいる人を「そういう人たち」と分類したままでなく
居ても立っても居られず、きちんと自分の心身を使って出会いに行って、関わって、その人の中に流れる血潮をしっかり知ってしまうところ。

そして、しっかりとその血潮を分けてもらってしまうところ。

あの感じは、私がいつも電車の中で知らないけれどすぐ近くにいる人に話しかけたくなる衝動に似ていた。

できるだけあんな風に人と関わっていけたらいいのに、な、といつも思ってしまう。

知るから、思わぬ方向へ展開する。

閉じるのでなく、展開していって、脳みそが解れていく。

そこにこそ、魂の真っ当さがある気がした。 

そして、知ったうえで、どこまで立ち入るか、立ち入らないかというところに、登場人物たちの気高さがあった。

「君が必要」という言葉が、あんなに刺さったのも、はじめてかも。

なんだか、
その瞬間誰かにとって、その瞬間誰かが必要だという
そんな粒々だけで世界が満ちてたらそれでいいじゃない、と思った。

そんなこと思う前よりずっと、そうやって自然界は回っているのだとも思った。

名前のつけられない人と人との関わりが
名前のつかないまま、不確かなまま
ただ必要だという微かな重なりだけで続いていけたらどれだけ素敵だろう。

不確かさも連なれば、
あとから確かさなんてついてくるような気がする。