1995

新宿の街におどるミモザ。

ビルの谷間に揺れていて
うれしくなってしまった。

東京。

私のはじめての東京の記憶は、1995年の新宿で、『ドラえもん のび太の創生日記』を映画館に観に行った時の新宿の駅の風景だった。

映画の内容は覚えてなくて、同時上映のドラえもんのストーリーがあったことと、小さいドラえもんの車がもらえたことをなぜか覚えてる。

もしかしたらそれがはじめての映画館だったのかもしれない。

でも何よりもよく覚えているのが、その日3歳の私は、新宿に行くのが怖かったこと。

1995年は、1月に阪神淡路大震災が起きた。

幼い私にも、その朝のニュース、家の中の空気から、私の住む神奈川は何も起きなかったけれど、日常とは違うことだけはわかってざわめいた。

その後、3月に地下鉄サリン事件が起きた。

その日も、ニュースでの報道に、意味がわからないなりに混乱した。

その、3月の新宿に『ドラえもん のび太の創生日記』を観にいった。

何か見知らぬものに飲み込まれそうな気持ち
雑多な空気
ビルの隙間から恐ろしいものが出てくるんじゃないかという予感

私が新宿をあまり好きじゃなくて
いまだにはやく立ち去りたい気持ちになるのは
たぶんこの記憶から来てるんだろうなあと気がついた。

それでも、映画『つぐみ』に映っている1990年頃(生まれる前)の東京の街は、いつ見ても何か胸がときめくものもあって

90年代前半の新宿の、あの不思議な、未知なるものを抱えたような空気は 
良い悪いとはまたちがった次元で
感覚に深く刻まれているような気がする。



今朝は新宿で『劇場版 心の傷を癒すということ』を観たのだった。

そこにあったのは、まさに1995年の神戸の景色で、だからきっとそんなことを思い出した。 



都会の空は狭くて、品川の工場に通っていた時、見上げるとビルの壁が全方位から襲いかかってくるように思えた。

息が詰まった。

それだけで、心は塞いでいくような気がした。

見上げれば、いや見上げなくても、空がひろく見渡せる安心を、いつも東京を歩きながら探している。



とてもいい映画だった。

細く長い筋肉みたいな、ずっと内側に育てようとしているものがあった。