じわり

映画『パブリック 図書館の奇跡』の中で、

主人公の同僚が、エレベーターの中でのささやかな会話として

時々夜に一人で泣く日もある。
だけど今夜はお母さんのために夕食を作るから、大丈夫。

というようなことを言っていて、すごく好きなセリフだった。
(もっとよかったんだけど、はっきりと思い出せない)

時々訪れる嵐のような、もしくは通り雨のような夜を
否定するでもなく、かと言って酔いしれるでもなく

そういう天気の夜だと静かに受け止めて過ごす。 

(物語の中ではもっと「そういう天気の夜だ」と受け止めきれないことが起こるのだが)

とても好きな映画だったなあ。
今は早稲田松竹でやっているはず。



見た時のメモ↓

じゃあどうすれば?という、ままならなさを描いた物語をよく観るし興味深く思っている。
でも、じゃあどうすればいいと思いますか?とままならなさをひたすら突きつけてくるものよりも、
何かその中でも選択をした瞬間が見える作品をいいなあと思う。
ままならなさを対岸の悲劇として消費したいわけではない。

ファンタジーのようでも、その一筋の希望が有難い。
一筋の希望くらいで、そこに描かれたままならなさを忘れたりしたくない。
なんとかファンタジーの勇気を得て、現実に踏み出したい。
奇跡を起こしたところで、この世はアハ体験のための映像くらいの速度でしか変わらない。もっと変わらないかもしれない。
でも見えないように少しずつ岩を動かして、いつかそこへ風が通り抜けるのを待っている。