東京



久しぶりにお洒落をして、お出かけ。

このところは、気にいりの着心地のいい服しか着てはいなかったのだけど
お洒落をするのとはまた違う。

なんといっても家にいる生活を今年はずっとしていたから、
お出かけ着ってなかなか着る機会がなかった。

ワンピースにおおきなイヤリングと指輪。
長年履いているドクターマーチンも磨いて履いた。

観劇をはしごするという一大イベント。

劇場に舞台を観に行くのはふた月ぶりだし、
今年まだ片手で数えられるくらいしか行けていない。

今はリスクも大きいし、何より自分が万全でいないとと思うし、たくさん悩む。

配信で見る面白さも見つけつつあるけれど
やっぱりこうして「お出かけ」できるのはいいなあと実感した。


感想は長々とツイッターに書き過ぎてしまったのだけど
本当にいい作品だった。

場所と人のお話でもあって、それは今年たくさん考えたテーマだった。

上演されている下北沢駅前劇場は、自分のターニングポイントにもなった月刊「根本宗子」『夢も希望もなく。』や、鵺的『悪魔を汚せ』を上演した場所。

下北沢演劇祭に参加したMU『このBARを教会だと思ってる』も鮮明に思い出す。

観劇した『あたま山心中』も忘れがたい。

場所の力ってとても大きくて、劇場に立つ時いつもそれを感じている。

これはうまく言葉にすることができないのだけど、駅前劇場とスズナリは立つと守られているような感じがする。

変な話だけど、そうなのよ。

場所にある、目に見えない何かのおかげで、できたことってたくさんある。

告白する勇気の湧く川辺みたいなものだと想像してください(できないか)。

駅前劇場、ずっとあって欲しいなあ。
恩返ししたいしなあ。

アナログスイッチの作品や、みなさんの中にある層の厚い温かさのようなものが、場所とよく似合っていて、とてもよかった。

おこたに入っているみたいだった。
みかん食べながらずっと泣いてるみたいな感じだった。

どんなだ。

完全に全身じんわりした状態で、急いで劇場を出て電車に乗って
向かうは池袋。


去年、同じ企画で『我輩は猫である』を観て、ものすごくよくて
ああ、ここに関森絵美ちゃんがいたらめちゃくちゃかっこいいだろうなあみたいなことをぼんやり思っていたら

彼女は今年、そこに立っていた。

めちゃくちゃかっこよかった。
思い出してしびれる。

足も、目も、手も、全身から、音やリズムや景色や物語が流れていて
それが今回は野外劇だから、風に、池袋の街の喧騒に、高い空に、そのまま溶けていくんだよな。

なんて言葉にするのもおこがましいのだけれど
地と天の間に立つのが本当に似合う人だなあと感動してしまった。

作品もとてもよかった。

アイドルを応援したことのある身としてはかなりえぐられるものがあった。

渋さ知らズの生演奏なのだけど、隣に座られた方と一緒に足でリズムを刻んで踊り
2度同じタイミングで鼻をすすり
一緒に終演してからもずっと拍手していた。

こういうのも観劇の良さの一つなんだよなあ。

グルービーな輪っかの中にいるなあという感じがした。


二本の観劇の時間がけっこうきゅうきゅうだったから
下北沢で観劇を終えて1時間後には池袋で演劇を見てた。

どちらもすごくいい作品だった。

こんなにもいい作品、全く違う世界を
たった20分程度電車に乗って、たった1時間後に観られる東京ってすごい街なんだなあ…と思ってしまった。

本当は、同時刻にこんなことが、毎日繰り広げられているわけだ。

以前ならもっと。

東京って、すごい街だな。
びっくりしちゃう。



いい日だった。

エネルギーを浴びに浴びて、ぼやぼやしてしまって
電車を乗り過ごしたけどいい日だった。

2020年というこの時に、演劇をやっているのを観て
幾重にも幾方向にも思うことがありすぎてうまく書き切れそうにない。

こんなこと言うと身内びいきのようになって嬉しくないので嫌なのだけど

自分の尊敬する友人が、今この時に公演の本番にたどり着けて
そこに立つ姿がどう見てもかっこよくて、いい顔で、この上なかった。

なんちゅーの、なんか何を言ってもしっくりきませんわ。



どうか無事で、健康で、公演を遂げられますように。

私もここから2週間は、いつも以上に健康に気をつけて過ごそう。

あ。写真は今うちにいるお花。
かわいいね、って毎朝思わず言っちゃう。