平らかな朝



「朝劇下北沢、平日はじめます」

そんなコピーを書いたことを
改めて思い出さないとならないくらいには

はじめたことが
日常に定着していました。

平日 9時 下北沢
演劇。

誰が行くねーん!

というつっこみを
誰かからされる前に自分たちでしちゃいたくなるくらい

とってもこわいはじまりでした。

それも、新作でなく、再演。

メンバーは新しいけれど
それが強みにできるかどうかはもちろん自分次第。

なによりわたしは
この平日チームで、はじめて
朝劇下北沢レギュラー出演にいたりました。

念願の。

もうくどいくらいはなしているけれど
やっぱりとにかくファンで
仲間に入れて欲しかった朝劇下北沢に

レギュラー出演できるって嬉しくてたまらなかった。

あの人たちの仲間になりたい、なんておもうこと
そうそうないし
そんな夢が叶うことって
ほんとうにいっしょうにあるかないかだとおもうから

その愛がかなったことは
もしかすると私の人生で1.2をあらそうラッキーだと思ってる。

ってはなしはたぶん
今後何度もまだするけどゆるしてほしい。

話を戻すと
朝劇下北沢に初めてレギュラー出演することになって

いいことと
たいへんなことが
7対3くらいの比率であった。

たいへんなことは
つづけること。

ずっとその台本を、自分の体の中に住まわせておくこと。

たくさんのひとにみてもらうこと。

新鮮でいること、おもしろくいること。

とにかく公演を行うこと。

でも

その大変さがわかってから
脚本で関わっている日曜日チームへの心持ちも大きく変わったし

朝劇下北沢とは ということをよく考えられるようになった。

もちろんそこにこたえはなくて

でも

つづけるための
いつもそこにあるための
朝劇下北沢とは

ということが真ん中に来るようになった気がする。

個人的には、このあたたかなホームをでて
あらゆる場所へ戦いに行く時

こわいことがだいぶ減った。

ずっとそうなりたかった
「まず、ただそこにいる」ということが
できるようになった。

このことにとても感謝してる。



大千秋楽を前に読み返した台本は
幾度となく読んだはずで、幾度となく上演したはずなのに

ああ、そうだったのかとか
もっとこうすればよかったとか
もっと彩りが豊かなはずだったとか

まだまだおもうことがあって
追究というのは果てがないと思った。

そしてなにより
追究をたのしむメンバーが

演じる私たち、
演出する原さん、
制作をするまりこちゃん、
ご飯と空間ともっとたくさんを提供してくれるお店
es cafeさん、CONAさん
楽しみに心を全開でいてくれるお客さん

こうしてこぞってそろっていたからだとおもう。




困難をゲームにしたり
味方にしたり
新しい扉にしたり

そこにおこったすべてをうけいれる
そんなひとたちにめぐまれて
つつまれて
あの場所は存在できました。

本当に、本当に、ありがとうございます。

感謝してもしきれません。

わたしたちは一度
その反応の連続に終止符を打ちますが

きっとそのときがきたら
またその扉を開きます。

そしたらまたきっと
ちいさな分子の反応からはじまって
たくさんのひとに伝播するまで
たくさんあそびはじめます。

きっと、の、そのときまで
きょうまでのきらきらを
どうか胸の中に。

たくさんの、かけがえない朝を、ありがとう。

おおげさになっちゃったけど
きもちはこのくらいだよ。